2020年GWの過ごし方

ぼやき

今年のGWは、会社のカレンダーで8連休となっていた。どこに行こうか、年末年始の旅が終わる頃、常に頭に並んでいる候補から決めに入る。

社会人になってからの過ごし方は下に示す通りの歴だった。

  • 2011年:信州・紀伊
  • 2012年:東北・四国
  • 2013年:九州
  • 2014年:九州
  • 2015年:九州・沖縄
  • 2016年:九州
  • 2017年:中国・九州・四国
  • 2018年:中国・九州・四国
  • 2019年:東北・北海道

2020年は、言うと悲しくなるのと、また行く時のためにあえて明記はしないが、島を目的とした旅をする予定であった。

今はもちろん神奈川県の自宅にいる。

これだけ毎年旅漬けのGWを過ごしていながらも、おとなしくしているのだ。本当にどれだけ連休を所望しているのかわかってもらえると嬉しい。

とは言え、世の中の自粛による経済的損失を抱えてしまう個人飲食店や宿、その他もろもろの影響のある面々にとっては大きな痛手であることを考えると、しがないサラリーマンは遊ばずに休むだけで良いのだから、従うのみだ。

そんな中でも先日は湘南・江ノ島界隈がレジャー客で溢れかえり、公共の駐車場は封鎖しているのに車で来た人らで大渋滞したようだ。GoogleMAPでも道が真っ赤なことがリアルタイムに確認できた。

遠方からの人は置いておいて、江ノ島なんて、いつでも行けるじゃ無いかと思う…出掛けるにしても、このタイミングで平時でも人が集まるような人気スポットを目指して来るのは考え無しではないか。

買い物や散歩、密を避けた行動なら出ても良いと言うが、各々の解釈で変わる。非常事態宣言が出ているが、それでも曖昧だ。上記のレジャー客は良いと解釈した(か、無視した)のだから。

個人的には、元々人混み嫌いなので、食事処とお風呂さえ何とかすれば、野宿旅でバイクに乗ることは良いのではないかと考えていたし、ギリギリ(アウト?セーフ?)4月の1週目にオクシズへキャンプに行ってきている(通して0密だったと思う)。今もそういった過ごし方や人のいないところでのんびりするのは良いのではないかと思ってはいるが、外の遊戯全般がダメな風潮なこともあり、それが最後となっている。

悔しいし面白くはないけど、死ぬわけではないので遊びに出ることなく、家でなるべく有意義な過ごし方を模索して過ごしている。他に促された感が出るので、能動的でありたい故に自分では自粛だと思わないようにしている。

最近では、バイクは事故を起こすと何たら迷惑をかけるという意見も出始めている。正直、バイク事故の多いイメージは走り屋のせいだと思うが、バイク乗りとして甘い目で見ても危ないと思って見ているからそのイメージは間違ってはいないだろう。ただし、ライダージャケットを着た平和なツーリングライダーの事故なんて、歩いているのと出会う確率は変わらないのではないかとも思う。

結局、メインの連休になってもバイクの音は家にいても聞こえてくる。家で聞こえるのだから要するにサイレンサーをいじっているのか、煩いバイクなのだろう。おそらく、ノーマルセローが同じ道を走っていても聞こえてこないとは思う。何が言いたいかと言うと目立つのだ。観光地に出向くこともバイクの音も。やるならひっそりとしたら良いのになとも思う。

しかし、承認欲求・自己顕示欲求で溢れた世の中では、もはやどうしようも無いだろうな。むしろ、SNSなんかでは目立ちたい者達が多い印象だ。

また、自転車なら良いという風潮も謎だ、あんな肌剥き出しの格好で転んだら速度が低くても大怪我でしょうに。

なんだか、何もかもが極端な世の中だと思う。自転車だって、のほほんとサイクリングするのは良いと思うし、スパッツ履いて血相変えて原付並みの速度で走るのはどうかと思う。

その判断ができないからマルッと一括りになる。まあ、バイクがダメで自転車が良いとなるのは、一括りにした時のイメージの悪さの他ないと思うけれども。

遊びに行くということも、観光地に出向いたり、ツアー、友達とお出掛けするイメージが先行している。そもそも、ソロでするひっそり地味なお遊びなんて市民権が無いのだ。

  • 「外に出るなんて言語道断だ、県外ナンバーを見たら敵と思え」
  • 「自分は感染しないから大丈夫なので遊びに来ました」

こちらも極端な話が聞こえてくる。どちらに振っても、ギスギスした話が目につく。もちろんこれらが全体の半々になんて存在していない、どちらかと言ったらどちらもミニマムな声なんだろうが、自分よりもアホな人を見て喜ぶため・安心するために拡散されているんだなと頷ける。今回の話に限ったことではないが、結局は自分に都合が良い行動を取るのだ、それが摂理。

アラを探しては、自分はこれよりマシ、だから良いだろうと曖昧に甘くなる。また、自分は周りとは違うぞ、自分100%だと言うような感情も大きい。100%なのは、勇気だけにして欲しいところだ。今回の悪い例では、大量な買い占めや後手後手だ発言などにも現れている。僕は買い占めてはいないが、少なからず僕の中にもこのような感情が存在していることは自覚している(誰にでもあると思う)。

何にせよ、何のメディアを見てそういう判断したのかは知らないが、自分で考えるということが欠如しているように思う場面が多い。

TwitterやYahoo!コメントでも、(その人の)正義を振りかざして反対意見を叩く、よく読まなかったり読解ができていなかったり、自己矛盾してでもその時思ったことを述べる、必要以上に煽る、トンチンカン等、見ていてこっちが恥ずかしくなることも多々。まずはその手に持っている四角い媒体で少し調べたり、確認してから書き込めば良いのに…と、思います。

全員が納得することなんか絶対ない。100%正しい人なんか存在しない。何かそれぞれに理由があるのだから、十人十色。お互いが受け入れたり諦めたり、主張したりのバランスを取れば良いのだ。状況や立場で意見が変わることだってある。でも、悪い奴はダメだ!

ウイルスについてはよくわかりませんよね、色んな意見や研究結果は目に留まりますが事実がわからないからこんな事態なのですし、あーだこーだ憶測や希望的観測をしてもしょうがないです、各自でやれることはやって、専門家の方々に任せたいですね。多くの知見を持つに越したことはないでしょうから、引き続き情報収集はしたいところ。

行政には意見、願望はあるものの、とにかく日本のために動いて欲しいところです。適当にはやっていないとは思う。遅過ぎでもない、早く動いて未然にうまくいっていたら、やり過ぎだったのではと批判の声が上がることが目に見える。頭の良い人が考えているのだろうけど、机上であること、権利が複雑に絡むこと、保身で動くことなど、あまり一般市民目線のリアリティが無い。あと、制度の案内や拡散が下手だと思う。マスクだって10万だって、それなりにお金が動くなりに何か後付けでも見込みや意図があるんだろうから、ちゃんと説明したら良いのに。反対派に餌を撒いてどうするのかなとも思います。どこもかしこも真っ黒なら知りません、諦めましょう。

社会インフラの仕事、医療関係者、現場関係、会社に行かないと仕事ができない人、スーパー・飲食店、自粛不可能なカテゴリーの仕事の方は色々と仕事のために外に出る必要があるでしょう。それだけではなく、自粛不可能では無いカテゴリーにしても、これ以上自粛したらヤバイのボーダーラインが近付いている。永遠に自粛はできない、できるのは年金生活者や生活保護受給者、ニート…など収入に依存しない部類だが、社会が終わったら同時に終わるのでは?とも思う。

出勤を週7の輪番性にする、社会全体計画的な自差ワークなど、不便はあるだろうが最低限社会を回していける仕組みを本格的に検討して頂かないと、いよいよ僕も家から出たくなくなって在宅ワークから抜け出せないどころか、ニートへ一直線、エサヌカ線ばりの直線路が見えてきてしまうではないか。

そんなことよりも緊急事態宣言により県外への移動を制限されては、和歌山県北山村の方々はやるせないのではないかと、ふと思ってしまった。昔のように川伝いの移動になるわけにはいかないだろう。渋峠ホテルとか、鼠ヶ関などの県境についても気になるところ。

※画像は北山村HPより拝借

と、意味も無いことを混えつつ、まとまりも無く、取り留めも無い文になりましたが、とにかくいち早く事態が落ち着いて、自由に旅ができるようになることを願っております。

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