よろずの意見が存在する

ぼやき

多種多様

必ずと言っていいだろう、何かの事象に対する意見として、探せばどこかしらに同じ声があると言える。世に一つの意見というのは中々無いものだ。

しかし、だからといって賛同してくれる人がいるぞ、ではこの意見は正しい!では無い。

数の多いコミュニティにたまたまいただけかもしれない、それがどのくらいの割合か認識した上でそう感じるべきである。

もちろん少数派が正しいことだってある。正しいことを主張しても良いが、数で負けている分、正当な理由を提示するべきだ。逆に理由なんて無いけど、そんなの知らん顔して主張することだって可能になってしまうのはタチが悪い。

また、逆に思ってもみなかった意見や、なるほどと思う意見にも出会える。素直に受け入れるのも、怪しみながらもじっくりと受け入れていくのもありだと思っている。

なので、多くの声に触れることに価値はあると考えている。

同じ意見に対して楽観視している人もいれば、悲観視している人もいるものだ。

連日のニュースで感じる流れ

例えば、政府から配られるマスクのことが取り沙汰されたりしたが、私はマスクが手に入らない世の中で布マスクの認知がされたことは大きかったのではないかと思っている。

街中でもあの頃から自作のものを見かける機会は増えたように思う。都知事が乗っかったのもその時だと覚えている。

そのような効果を狙っていたかどうかは知る由もないが、結果としてだ。と、思っていたところ、同じような意見をネットでも見た。だがこれも、賛同者はいるが、それが実際に正しいのかはわからない。

うちにも届きましたが、別に普通のマスクだと思います。

一方、税金の無駄遣い、不良品は許さん!、顔の大きさに合わん!など、否定的な意見もある。まあ、実際小さかったりしたら困るので、それらも一つ一つの意見だとは思うけど、そもそも標準外の人は合わないに決まってるし、顔のサイズが政府のデータベースにあるわけがない。

人って否定する時、何でだか醜い言い方になるのは何でしょうかね。

(それよりも、あのマスクの呼び方、凄く嫌なんですけど、そんなことないですか?)

どちらの意見も持てば良いのでは?良かったところ、悪かったところ、どちらもあるのだから。ベストなことかどうかなんてわかるものではないのだから。

てか、良い悪いはともかく、仕事内容もともかく、首相なんてあんな叩かれる立場を長い間、よくもやってると思いますよ。いくらお金もらってもやりたくないでしょ…。僕にはとても優雅には見えない。

◆優劣ではない

絶対!の意見は無いのも確かだ。答えのあるテストをしているわけではない。

人生を歩む中、勝ち負けや、優劣に溢れた世界で過ごしてきたから、そのような意識が生まれているのかもしれませんね。

僕は、負けや劣勢なことを悔しがらない生き方をしてきたからか、そんな意識はあまり感じない。バカにされたとしても放っておく。

そんな生き方が正解だったか不正解だったかどうかなんてわからないけど、ご自分主義にはならないでいられたかなとも思う。

まあ、そもそも人間という生物が生きていること自体が不正解かもしれないですしね…。

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