「One for all All for one」
この言葉を聞いたことはあるだろうか。
僕の経験では、クラス目標として担任の女性教師が掲げたことが印象的な記憶である。
その時は、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」と、解釈されていたと覚えている。
中学2年生だった僕は、何であんなやつらのために…と、思ったものだ。
いや、今改めて考えてもそうだ。
クラスの中心になってるんだせ!と、言わんばかりのちょっとかっこよかったり、かわいかったり、サッカー部だったり、そんな自分どや!なオーラで纏われたやつらのために何を自分を犠牲にしなくてはいけない。
クラスの和を乱していたのは、奴らだろう、煩いし。こちらは真面目に地味にまあまあに良い成績を保ち過ごしていた。こんな目標なくても、大人しくしてるし、自分の目標には向かって生活する。巻き込むのではない、と思ったものだ。
しかも、実際の訳としては、「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」である。スポーツやコンクール、プロジェクトなど、明確な一つの目的がある場合に使われるのが正しい。よくラグビーで使用されるみたいですしね。
クラスの目的なんて、本来は皆バラバラだろう。特に公立の中学生なんて、進路希望もバラバラ趣味もバラバラ、家庭環境も違う。住む地域が近いだけ、そんな者の集まりに一つの目的を持たせることが無理難題。
当時、クラスでもまあまあ話をする仲だった、剣道部の近藤くんという友達がいた。
放課後、これから部活?ってな具合で、剣道とかけてじゃあ近藤部だなと、今思えば何も面白くないのですが、そんなやり取りをした。
そしたら、先ほど登場した教師がこのやり取りを聞いていて、そんなこと言うんじゃありませんと、叱ってくるではないか。
いや、本当に当時は全く意味がわからなくて、「??」となり、おそらく絶対近藤くんも同じ気持ちだったと思う。
まあね、今思えば、「部」が「ム」と聞こえちゃったのかなと、それも想像ですがね。ピュアな我々は、キラキラ中心の方々とは違うんです、一つになんてなれないの。
思い返すと、学校の教師は僕にとっては嫌な存在でしたね、ほんと。
文書がまとまる気配がないのですが、人それぞれなのだから、誰彼それに構わず、好き勝手色々言うのは、見ていて気持ちよくないなと思うこと。基本的には、「一人は自分のために、みんなもそれぞれの目的のために」ですからね、罵倒やらお節介やらはほどほどに。被害を被ったならまた別ですが。
皆、不確定なことでも上から目線で色々と言えたものだと思いつつ、まあ世の中の心の中の声なんてこんなものなんだと、自分は気を付けないとなと、最近はそんな目でTwitterを見ています。
コメント